四十路を越えて始めたこと

10代に観た「私の人生」というドラマが好きだった。

昭和生まれの多感な時代にはTVドラマは最強のコンテンツだったと思う。

主人公にとって大きな悲しみを受け止めた砂浜で、新しいパートナーと共に笑いながら走っていくラストが印象的だった。「私の人生」というドラマタイトルに子供ながらにハッとして描かれない未来への期待にドキドキした。内容は普通の女性の半生なのに、そのタイトルによって普通が特別なものに変わったのだ。

今思えば初めて女性を格好良いと思ったのではないだろうか。

私自身、自分を知りたいという欲求があり、知れるものならなんでも興味を示している毎日だ。占いでも科学的なテストでもなんでもだ。当たっているとか信心深いとか、そういうことではなくて兎に角知りたい、なぜだか。なぜ知りたいのかも知りたいくらいだ。

 

そんな私がブログを書き始めている。

何人もに注意を受けるくらいの考え過ぎで、パニックになるから整理にも良いのではなかろうかと思ったことも後押しした。

 

ブログなんて今更感だ、と旬が好きな私は少し思っている。旬が好きだから、昭和というフレーズも今となっては好みではなく、提出書類で昭和を記入するのも地味にグッと刺さる。

欲に対しては驚くほどのフットワークの軽さで友達を驚かせるのに、いざってことには見て見にぬふりで腰が重い。今更感がぶら下がっていたのもあるが、「本番」を先延ばす放置癖が大きい。

 

「絵というより、文章。小説、エッセイというか」

占い師に言われて大好きな絵じゃないのか、と少々落胆して3、4年。

何年も経ったのは自分の「本番」に期待しながら、正直行動を起こすのが怖かった。

完璧じゃなくても始めれば良いと分かっているのに、とりあえずの放置癖。それなのに「自分の未来は明るい」と心のどこかで思っている。大人なら日々の忙しさにかまけて、誰でもそうだろうからまだ大丈夫と何の安心なのか、だらだらしていた。私の嫌いな人間の部類ではないか。

私も41、いや今年でもう一つ増える。充分大人だ。

先日美容室で「大人っぽくなった」と仕上がりについて喜んでいると

「いやいや、大人笑」と年下の美容師さんに言われて恥ずかしくなった。

恥ずかしくなって、がっかりもした。大人には大人っぽいって使わないのか。

 

誰かに話すときの言い訳が欲しかったのか、色々と言葉もよぎった。

twitterやインスタではどうしても知人と繋がってしまって、なんだか自分を装ってしまうし。それでは本当の自分のことは知れないし。

引き出しのように記録簿として使おうと思って...

もちろんどれも嘘じゃないけど

考えているうちにどうでもよくなってきた。誰に対する言い訳なのか。格好つけようとしては本当の自分はもっと知ることができないよな。どんな言い訳をしても結果ブログを書くことには変わりない。

とりあえず、私は文章が書きたいのだ。

 

今文章を打ち込みながら、自然と文章が書きたいと言っている。

そうか、やはり大好きな絵じゃないのか。でも

私の知らない私は、今ブログを書いていこうとやっと決めたことが分かった。

また心のどこかで特別な人生であることを期待しながら。

 

 

堂福 ユウコ